桜町だより

桜町(さくらちょう)縁起(えんぎ)

筆者がこの土地へ定住した平成元年、この界隈(かいわい)は伝馬町新田川原添治郎兵衛開という小字(こあざ)の土地であった。勿論、当時から『桜町(さくらちょう)』と称していたのだが、これはあくまでも通称であって(おおやけ)に認められたものではなかった。

 この界隈(かいわい)がいつの頃から桜町と呼ばれるようになったのか詳しいことは判らない。しかし、さほど古いことではないようだ。安倍川に新しい堤防(ていぼう)が築かれた直後から堤内(ていない)官有無(かんうむ)番地(ばんち)へ人が住み始め、やがて、市営住宅や県営住宅が建てられて、(またた)く間に人口密集地になった。その頃、殺風景な堤防に桜の苗木が植えられて、年毎に綺麗(きれい)な花を咲かせた。これが桜町という町名の起源(きげん)だというのが通説(つうせつ)であるが()たして真実(しんじつ)であろうか。

 明暦(めいれき)年間のことというから徳川四代将軍家綱の治世(ちせい)である。駿府伝馬町に飼育する駅馬の飼料に供するため、安倍川の河原の一部を『()草場(ぐさば)』として賜った。伝馬町新田は、後年その場所を開墾(かいこん)してできた土地であり、安永年間(1772〜78年)に一つの村としたもので、その村高は二百六十五石二斗八合であったと記録(きろく)にある。

 驛傳馬(えきてんま)の制度は律令(りつりょう)国家(こっか)の成立とともに整備されたが、当時から安倍郡横田郷は駿河国の五駅六伝馬の一つとして主要な宿駅であったようで、平安期に書かれた『延喜式(えんぎしき)』などにも見える。以来、横田町近辺は東海道府中宿の中核として江戸期の上伝馬町、下伝馬町に至るまで宿駅としての役割を連綿(れんめん)と続けた。

 くどくどと歴史の講釈(こうしゃく)をしようというのではない。伝馬町新田は伝馬町に飼われていた駅馬や伝馬のための『馬草場』であったという事実がご理解(いただ)ければよいのである。

(いのしし)の肉をボタンというのは唐獅子(からじし)牡丹(ぼたん)の獅子とイノシシのシシをかけた洒落らしいが、馬肉のことをサクラというのは桜色をした肉という意味らしい。「咲いた桜になぜ(こま)つなぐ駒が(いさ)めば花が散る」という歌もある。桜と馬は元々(もともと)関係(かんけい)(ふか)い。

 桜町の町名が堤防の桜に(ちな)むものか、はたまた伝馬町新田から伝馬町へ、伝馬町の馬から馬肉、馬肉からサクラへと連想ゲームさながらに想像力を働かせた所産(しょさん)なのかは賢明なる読者諸兄のご判断に(ゆだ)ねたい。

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